昭和30年、太平山の麓にある秋田市太平山谷に農家の次男として生まれ、地元山谷小学校(廃校)、太平中学校、秋田工業高等学校(定時制)、秋田経済大学(現ノースアジア大学)へ通いました。
少年時代の記憶には、父が早くに亡くなったことから、祖父母を介護し、幼い兄と私を育てながら田畑を守る強い母親の姿があり、その背中を目で追いながら黙々と農作業を手伝う日々が大学まで続きました。
大学卒業後は、縁あって地元秋田選出の国会議員事務所に秘書として勤めることとなり、私の政治の道がスタートしました。
16年間地元衆議院議員秘書として政治のあるべき姿を勉強させていただきましたが、この時に「政治は、社会の谷間で困窮している人に手を差し伸べるとともに、全ての人が将来に向けて夢を描き、努力した人が必ず報われる社会を可能にする」ということを感じました。
その後、志を立て39歳で県議会議員選挙に立候補し、初当選。 以来5期連続(18年)県議会議員を勤めたあと、ふるさと秋田の発展をさらに推し進めるため平成24年12月の第46回衆議院議員総選挙に初出馬し、大変厳しい状況の中でも多くの皆さんの支えがあり、初当選をさせていただくことができました。
以来3期連続で当選し、国政に送り出していただいてから9年目となります。 先の通常国会にて3期9年目にして初めて本会議場で自民党、公明党を代表して質問に立ちました。
私がこの場に立てていることは、「継続は力なり」という言葉にあるように、時間をかけ積み重ねてきたからこそだと感じております。 これからもひとつひとつの積み重ねを大事にして秋田発展のために頑張ることをお約束します。
昭和30年4月27日
秋田市太平の農家の次男として生まれる(69歳)
秋田工業高校定時制 秋田経済大(現ノースアジア大)を卒業
衆議院議員野呂田芳成の秘書(16年)を経て、平成7年に秋田県議会議員初当選。(以後、5期連続当選)
2期目から建設委員長、決算特別委員長、県監査委員、自民党秋田県連政調会長などを歴任。
平成21年8月、第62代秋田県議会議長に就任。
平成24年12月、第46回衆議院議員総選挙で秋田1区に出馬し、初当選。
平成26年12月、第47回衆議院議員総選挙で2期目の当選。
平成29年10月、第48回衆議院議員総選挙で3期目の当選。
令和3年10月、第49回衆議院議員選挙で4期目の当選。
令和6年10月、第50回衆議院議員選挙で5期目の当選、現在に至る。
秋田1区(秋田市)選出 衆議院議員 5期目